認知症の物忘れは自覚のない物忘れです。まず新しい出来事の記憶と知識が障害されるので、さっき食べたものや約束ごとなどは忘れてしまいます。そのため同じことを何度も言ったり、尋ねたり、大事なものを置いた場所を忘れたり、台所の火を消し忘れたり、薬を飲み忘れたりします。逆に、昔の思い出や昔取った杵柄と言われる技の記憶は、かなり認知症が進行するまで残ります。そのため、生き生きと昔話をしたり、台所では野菜を切ったり、漬物を浸けたり、雑巾を縫ったりと、重度の認知症の人でもできる場合が多いのです。
人の記憶は、その内容に応じて3種類に分けられます。「エピソード記憶」と「意味記憶」「手続き記憶」です。エピソード記憶は、「いつ、どこで、何をした」のように体験に基づく記憶です。健常な人でも年齢を重ねるほどに物忘れが多くなってきますが、何かヒントや何か小さなきっかけがあれば思い出すことができます。しかし認知症の記憶障害では、数分前に見聞きしたことや、自分がした行動でも思い出せなくなってしまうのです。
また、数年前の遠い記憶よりも、数分~数日前の近い記憶が強く消えていく傾向にあります。たとえば、財布を一時的にテーブルの上に置いたのに、それを忘れてしまって財布を盗まれたと勘違いする、食事をしたのに忘れてしまって、食べさせてもらっていないと勘違いするなどから、家族とのトラブルになったりします。ただ、認知症が進行するにつれ、以前は覚えているはずの記憶も欠損してしまいます。まだ忘れずに残っている記憶を頼りにするため、自分がいる状況を把握できなくなることもあります。意味記憶はことばの意味など、学習を通して身につけてきた知識についての記憶です。意味記憶障害では、言葉の意味が分からなくなったり、言葉を正しく使えなくなり、「これ」「あれ」「それ」などの指示語が多くなります。
テーブル上なのに「あれの上」などと言ったりします。一方で、手続き記憶は、自転車の乗り方や、日常生活の基本動作など、意識しなくてもできる動作に関する記憶のことで、認知症が進行してもこの手続き記憶は長い間保持されます。認知症がかなり進行して、コミュニケーションもうまくとれないくらい重度化した人でも、藁を持たせたら上手に縄をなっている方がいました。何もできないからとあきらめるのではなく、どんな暮らしをしていて、何が得意だったかなどの情報を集めることは、認知症ケアではとても大切なことです。